理不尽とは
こんばんは、きゅうり野郎です。一昨日は七夕でしたが、何もせず終わりでした…。誰かも言ってましたが、大人になるって、悲しいことなの…。
さて、今日のテーマは理不尽についてです。嫌ですね、実に嫌なものです。私レベルになると字面を見ただけで嫌になります。もっとも、好きな人なんているわけもないですよね。基本的に無い方が良いし、誰もが理不尽な目にはあいたくないと思っているハズです。
じゃあ何故、世の中はこれほどまでに理不尽に溢れていて、理不尽がでかい顔をしてるのか。挙げられる理由はいくつかありますが、私が着目したいのはその内の一つ「諦め」についてです。
人間、小さい頃からしわくちゃになるまで、大小様々な理不尽に出くわし続けます。皆様にも心当たりはないでしょうか?学生時代、理不尽に教師や親に怒られたとか、社会人になったら職場で上司や先輩に全く納得のいくものではない叱責や処遇を受けたとか。全く自慢になりませんが、私は腐るほどあります。特に社会人になってから。その度に心の中で(お前きゅうりじゃなくて良かったな、お前がきゅうりだったらお前は今頃の俺の腹の中に入って翌日トイレに流されてるぞ)と、有り体に言えばぶっ○すぞと悪態をつきながらも、はい、申し訳ございませんでしたと頭を垂れる日々でした。多分、世間の多くの人がこの対応を正解だと言うのかと思います。
しかし、私はこれこそが世の中の理不尽をさらに増長させる原因になっているのではないのかと考えています。
「仕方ない」
「仕事をするってそういうこと」
「お給料は我慢料」
「今のご時世、どこもこんなもんだ」
「理不尽を乗り越えて成長していく」
「それが大人だ」
こういうフレーズを聞くと、正直、「ばっかじゃねぇの頭沸いてんのかよ」と思わずにはいられないのが青臭さ全開の私きゅうり野郎です。そう言って理不尽を飲み込んで進んでいける人間は確かにすごいんですよ。大事じゃないとも言いません。現実的に考えれば、人が人として生きていく以上、大変残念なことに理不尽は無くならないのですから。
しかしですよ?どう考えても明らかにおかしい、それに異を唱えることをしない、というのは、理不尽と闘うことを諦めるということなのではないのかと思うのです。
もちろん、飲み込むことが正しい選択肢である場合だってあります。というかそっちの方が多いと思います。だけど、
「サービス残業を毎日4時間も5時間もさせられる」
「昨日の指示通りに動いたら今日になって怒鳴られる」
「出勤時間の1時間前にいない奴はやる気のないやつだ」
「休日出勤になったけど振替休日は無い」
「まるでヤクザみたいな口調で他のスタッフの前で吊し上げたり人間としての尊厳をひどく傷つけたりしてくる」
「どう考えても黒だけど、会社が命令すれば、上司がやれと言えば黒を白だと言って行動をとらなければならない」
例えば上記のようなものを不満に思ってても聞き分けよく飲み込んでりゃあ、そりゃあ理不尽なんて無くならねぇ、つけあがっていくだけよと思うわけです。こういうこと言ってると、必ず忍耐力が~とか、人としての成長が~とか言うツッコミをもらいますが、そもそも理不尽なことが無ければ我慢する必要もないでしょ?なら鍛える必要もないでしょ?って考えてしまうんですよ。
時には闘うことも大事だと思うんです。もちろん、自分が出来うる限りの最大限の努力をしていることが大前提ではありますが、どう考えてもおかしいことにはおかしいですよと、間違っていることには間違っていますよと。そうしなければ、自分がますますつけあがっていく理不尽にすり減らされていくだけです。
闘うことは時に飲み込むことより体力、精神力を使いますし、ノーリスクではない、だから理不尽を諦める人が悪いなんて思わない。ただ、減らせる理不尽は可能な限り減らしたい、おかしいものはおかしいと声をあげたい人たちにまで「それが働くってことだろ?」と諦めることを強要はしないで欲しい。みんな辛いんだよ?だけど頑張ってるんだよ?だからお前も頑張れよ?そんなのただの同調圧力やんけ!自分も辛い思いしてんだからお前もしろよってことじゃんよ!きゅうり野郎はそんなのさっぱりごめんです。
…すみません、熱くなってしまいました。頭の皿が乾くのでそろそろ結びますが、ようは「社会は理不尽なものだけど、それを生み出す原因の一つに闘うことを諦める自分や他人があるかもしれない、原因が自分なら、改善出来るかもしれない、それならちょっと頑張って理不尽にアッカンベーをしてみませんかね?」って話でした。
皆様はいかがですか?理不尽と上手くやりあえてますか?
最後までお読みいただきありがとうございました!今度はもう少し楽しい話題を提供致します!